観戦せざる観戦記

プロの将棋をもとに考えたもの

渡辺 明 竜王 vs. 羽生善治 棋聖 第30期竜王戦七番勝負 第4局 観戦記 

渡辺 明 竜王 vs. 羽生善治 棋聖 第30期竜王戦七番勝負 第4局 

私はこの将棋に感銘を受けた。そこで、もちろんネットでしか観戦していないのだが、観戦記を書いてみようと思う。ほとんどすべては想像によって書いたものである。

初手より

▲7六歩 △8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲2五歩△3三銀▲4八銀△3二金▲5六歩△5四歩▲5八金△4一玉▲6六歩△7四歩▲6七金△3一角▲7九角△5二金▲3六歩△4四歩▲3七銀△8五歩▲6八玉(第1図)

第1図

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渡辺は早囲いを志向した。

急戦調の将棋になりそうな予感である。そういう将棋は渡辺も強い。しかし、羽生も得意とする展開である。

(第1図以下の指手)

△7五歩▲同歩△同角▲7八玉△6四角(第2図以下)

(第2図)

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さて、後手は7筋を交換した。7筋の屋根が空いているのは気持ち悪いが、渡辺が積極的に動く。

(第2図以下の指手)

▲6五歩△4二角▲3五歩△同歩▲同角△6四歩▲同歩△同角(第3図)

(第3図)

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渡辺は6筋をついて後手の角を追い、その後、3筋を交換した。

当然羽生は、6筋を奪い返しに行く。

さて、第3図は手が広い。▲6五歩も打ってみたい。単に▲4六角もあるだろう。

しかし、渡辺の選択は、意表を突いた。

第3図以下の指し手

▲2四歩(第4図)

(第4図)

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このタイミングで歩をついた。

あとからでは同歩とされる恐れがあるらしい。

同銀と同歩、どちらでとっても、善悪は難しい。しかし、渡辺は、ここで入れるのが得だと判断した。

その後の進行を見ると、その判断は正しかったようにも見えた。

(第4図以下の指手)

△同銀▲4六角△同角▲同銀△3三銀(第5図)

(第5図)

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角交換後、後手の羽生は△3三銀と引いた。

代替案は、△3九角からの馬作りだ。その方が後手陣が厚そうにも見える。

飛車筋が通って気持ち悪いようにも見えるが、すぐに何か手があるわけでもないだろう。

しかし羽生は銀を引いた。

いろいろな手がある中で、ここで手を戻すのはつらいように見える。

先手は飛車の筋が通り、しかもいつでも▲2二歩もある。

得しているようにしか見えない。

 そして、銀引きに対して、渡辺は次の手を堂々と指した。

(第5図以下の指手)

 ▲5五歩(第6図)

第6図

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 薄くなった5筋をついていく。

4六の銀がこの歩を支えている。

腰の入った攻めだ。

渡辺好調を思わせる。

(第6図以下の指手)

△7六歩打▲同銀△7五歩打(第6図)

第6図

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 来るべきものが来た。

このたたきがなかなか対処に困る。

▲同銀は△3九角で困る。

▲6五銀も△6六歩がいたそうだ。

渡辺は当然この連打を予想していただろう。ゆえに次の手は予定だったはずだ。

それでも、私には次の渡辺の一手は方針変更に見えた。

(第6図以下の指手)

 △6四角打(第7図)

第7図

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この角は、7五の歩をとってしまおうという手だ。

△7三銀なら▲7五角だ。

ただ、この手は少し粘っているような指し方だ。

▲5五歩をついた瞬間は、堂々と攻めるような指し方に見えたため、方針変更をしたかのように見えるのだ。

むろん、それだけで先手がまずいというわけではないが。

この手に対して、羽生は渡辺のかわしを許さなかった。

(第7図以下の指手)

△7二飛(第8図)

第8図

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羽生は飛車を回った。

▲9一角成を許してでも、銀を取りに行くというのだ。

渡辺としては、▲6五銀とさらにかわす手もあるだろうか?

私には▲6五銀に対して後手が何をするのかすぐにはわからない。ただ、△7三桂や△7三銀など、様々な手があり、そのうちのどれかで、先手は悪くなりそうな予感がある。

そのため、渡辺は香をとった。

こう書くと渡辺が苦しいようだが、桂香を拾えるのだから、先手が悪いとも思えない。

(第8図以下の指手)

▲9一角成△7六歩▲8一馬△7五飛▲6八金(第9図)

第9図

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先手は桂香を拾い、駒得を果たした。

代わりに後手は、7筋に拠点を作った。

手番は後手。

何かあるのか?

見た感じ、なんともいえない。先手が後手の攻めを止められそうな感じもあり、一方、後手が攻め切れそうな感じもある。

ただ、5四馬などが回っては後手は攻めきれなくなる。この瞬間が大事だ。

そして、羽生は美しい手を指した。

(第9図以下の指手)

△3四角打(第10図)

第10図

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羽生は角を据えた。

先手の王を一直線ににらむ。

結果論だが、渡辺の堂々たる5五歩突きの裏をかいているではないか!

 

もっとも、この手が成立しているかどうかの検証は難しい。

まず▲5六桂が考えられる。しかし、△6五銀と据えられると、△6六歩や△5六銀等が狙われ、かえって受けにくい。

▲3五歩の催促も考えられる。これに対しては、△7七銀からばらすのだろう。

△7七銀▲同桂△同歩成▲同金上。

そこで、△6七角成▲同玉△5六金があるか?それで決まっているのか?

 

繰り返すが、検証は難しい。しかし、渡辺はいずれも苦しいと読んだ。

そこで、粘りに出た。

(第10図以下の指手)

▲4五桂打△同歩▲3五銀(第11図)

第11図

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桂馬を犠牲に角筋を止め、銀を出る。

受ける側が駒を捨てるのだからさすがに先手が苦しい。

ただし、後手の飛車が近いため、すぐ飛車が当たりになる。

つまり後手は油断できない。

(第11図以下の指手)

△6五桂打▲7七歩打(第12図)

第12図

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羽生は桂を足す。

厳しい!

これに対して渡辺は歩を先に打つ!

懸命の受けだ。

どうしてもここに銀を打たれたくないというのだ。

渡辺の渾身の一手といえる。先ほどの▲4五桂と連動した一手だ。

とにかく受け止めて、▲5四馬などを間に合わせたいのだ。

ここから羽生は流れるように攻める。

(第12図以下の指手)

△同歩成▲同桂△7六歩打!▲6五桂△7七銀打▲同金△同歩成▲同金△7六歩打▲同金△同飛▲7七歩打(第13図)

第13図

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当然ながら、先手の同桂に対して△7六歩がうまい手だ。

あっという間に先手の金を二枚はがしてしまった。

誰もが後手好調と思ったであろう。

しかし、そう簡単ではない。先手陣にとっかかりはない。この後、適当に飛車を逃げているうちに先手陣に手がつかなくなり、あっという間に負けてしまった経験を誰しもお持ちだろう。

いざここから勝ちまで持って行くのは、大変なのだ。

ここから、検討陣が驚く展開となる。

(第13図以下の指手)

△6六飛▲6七銀打△8八金打!6八玉(第14図)

第14図

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飛車を逃げ、後手は8八に金を打つ。

(私なんかは、これを同玉ととって、△6七飛車成に、▲6八金とはじけば、受かっているのではないかと思うのだが、プロの検討陣がその手を挙げていないところを見るとおそらくダメなのだろう。理由は今一つよくわからないのだが)

先手は王をかわす。

この局面を見て深浦(九段)は言った。

「これは逆転したんじゃないですか?」

「信じられないなあ」

木村(九段)はとりなすように言った。

「ええ、そうかもしれないですね」

プロがそういうほど、第14図はひどい局面のようだ。先手玉はものすごく広く、後手は金しか持ち駒がない。とても先手玉が寄る未来が見えない。

「しくじったか」

見ていた者のほとんどがそうおもったであろう。

その思いの底には、羽生への信頼の揺らぎもある。

さすがの羽生も、最近は粘れずにあっさり土俵を割ることもある。

見落としと思われる将棋もある。

そういう羽生の姿がちらついて、羽生が誤った、そう思わせたのだ。

そうでなくても、第14図を見ては、誰も後手を持ちたいとは思わないだろう。

 

(第14図以下の指手)

△6五飛▲3四銀△6六歩打▲5六銀(第15図)

第15図

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後手はとりあえず桂をとって飛車を逃がす。

先手はようやく角をとる。この角取りは単に角をとったにとどまらない。△同銀なら▲5四馬が飛車取りになりつつ、後手玉への一気の詰みをも狙う絶好手になる。

後手からの△6六歩にはひらりと銀をかわし、いよいよ先手玉は広い。

第15図はいかにも後手が足りない局面である。

そして、足りなそうな局面は、たいがい、本当に足りない。

後手が窮したように見える局面だが・・・

(第15図以下の指手)

△3六桂打▲3八飛△3四銀(第16図)

第16図

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後手は、まず3六に桂を打つ。これはかわすしかない。

それから△3四の銀をとった。

次に△6七銀を狙われている。

だから、先手は次に、根元の飛車を払うしかない。

先手玉は少し狭いが、金銀では寄らない・・・?

(第16図以下の指手)

▲6五銀△4八銀打(第17図)

第17図

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先手が飛車を取ると、後手は4八に銀を打った・・・

実戦でも出てくるが、▲同飛△同桂成▲5七玉に対しては、△6八飛車!という絶妙手が用意されている。それで逃げられない・・・

例えば▲7九桂には△5七金打ちから△6七歩成・・・あらゆる手段を尽くしても受けがない・・・

つまりこの銀打ちで先手玉は捕まっているのである。

ではこの手を一体羽生はどこから見通していたのか。

遅くとも、あの奇妙な8八金を打ったところではこの手を見ていたのだろう。

そんなバカな!そんなに前から!

と思うだろう。

しかし、それができるから羽生なのだ。

こうやって勝利をつかむことができるから、こうやって相手を読みで上回ることができるから、羽生なのだ。

そして、これが、時間のある将棋におけるプロの将棋なのだ。

互いに可能性のある局面を読み、少しずつ自分の読みのテリトリーに導いていく、その中で相手を上回ることができれば、少しずつ勝利への濃度が高まっていく。

そういう戦いなのだ(おそらく)。

観戦していた深浦九段はいった。

「この銀打ちには感銘を受けました」

木村九段は、淡々と言った。

「何か抜けていれば渡辺勝ちなんですが、今のところ見当たりませんね」

(局後の感想戦によると、渡辺は△3六桂を打たれるタイミングを見落としてたらしい。互いに同じ局面を見て、ある程度の時間の中で可能性のある手を探るのがプロ。

だからこそ、手を見落としていたというのは、その将棋において、相手に上をいかれたということを意味するだろう。それは、ある意味負けること以上に辛いことなのではないだろうか)

 

(第17図以下の指手)

▲4四香打△4三銀▲4八飛△同桂成▲5七玉△6八飛打(第18図)

第18図

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この△6八飛車がいい手。

この飛車を次の一手で当てることならできるだろう。

しかし羽生は、膨大な読みの中の一手として、はるか前から読んでいたのだ。

先手玉への網を絞るための、道具の一つとして、この手を用意していたのだ。

寄せは、一手だけでは完成しない。

5手先、10手先を読み、そのいずれの局面においても捕まっていることを確認出来てようやく完成するのだ。

渡辺は、地玉が捕らわれていることに、羽生よりも気が付くのが遅かった。

懸命に挽回をはかるも、遅かった。

 

余談だが、木村九段は、羽生が6八飛車を打つまでに時間をかけていることに大変感心していた。いわく

「プロでも、すぐ打ってしまう人がほとんどだと思いますよ」

プロは機械ではない。

読み抜けはあって当然だ。

それを防ぐには、ひたすら検証するしかない。限りある時間の中で。

それは、創造的な作業とはいいにくい。楽しいかどうかも、疑わしい。

しかし、読み抜けを防ぐにはこれしかない。

この作業を、第一人者たる羽生が、やるのである。舞い上がってしまいそうな、自分の読みにほれ込みそうなこの局面でも、淡々と検証するのである。

そのことを、木村九段は称えたのである。

(もちろん、木村九段の棋風が、人一倍検証を必要とする棋風であるということも少しは関係するかもしれないが)

 

ついでにもう一つ余談だが、羽生は将棋界における政治にはかかわっていないように見える。ひたすらプレーヤーとして戦っている。

もちろん、タイトル保持者であるから当然といえば当然だが。

その羽生の姿に、最近の不祥事と考え併せて、「政治についてもやってみてほしい」という気持ちを少しでも持つ人は、いるのではないだろうか。

私も、少しだけ持っている。

しかし、この将棋のすばらしさを見ると、羽生は、これ程の内容で勝って見せることで将棋界にこれ以上ないほどの貢献をしているのではないかと思う。

もうだめになるのだろうか、そんなことを考えさせる将棋界において、人が指す将棋の魅力をこれ以上ないほど伝えている。

長年、もう20年以上も将棋を指し、見てきた私が、この将棋でいまさらのように胸を熱くしたのだから!

 

さらにもう一つ余談だが、先の不祥事に関し、羽生は沈黙を破ってコメントを出したことを私は覚えている。

「疑わしきは罰せず」

これだけだが。

私はあまり例の不祥事をよく知らないし、調べようとも思わないし、いろいろな意見があるだろうことも十分予想できるが、振り返ってみると、このコメントがいかに偉大であることか、と感じた。

プレーヤーとして引退するべき時期が来たと、先の先の将来に、羽生が考えることがあれば、その時はぜひ、将棋界の政治にもかかわってみてほしいと思うのである。

さて、将棋に戻る。

(第18図以下の指手)

▲6一飛打△5一金▲4三香△同金▲5二角打△同玉▲4四桂打△同金▲5三銀打△4一玉▲投了(投了図)

投了図

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渡辺は懸命に手段を探したが、ついに逆転への道は見つからなかった。

羽生の作り出した網は完璧だったのだ。

 

かくして羽生は勝った。

すばらしい将棋だった。

永世七冠までいよいよあと一勝である。