第8図を再掲する。
先手の井上九段が鋭い手を指した局面である。
ここでは先手優勢と思われる。
ただし、差は大きくはないと思う。
第8図
(第8図以下の指手)
△同 桂▲3五歩打△5一玉▲7九玉△3五角(第9図)
後手は△同桂。
対して先手は、▲3五歩。桂の頭を狙いつつ、簡単には後手の角をさばかせない。
いよいよ先手の調子がいい。
さて、藤井六段は、圧力をかわすために王を寄る!よくわからないが、「勝負術!」という感じだ。
対する井上九段も王を寄る!
こちらは、ものすごく価値の高そうな手だ!
どこまでいっても、先手に若干、分がある感じである。
第9図
(第9図以下の指手)
▲同 角△同 歩▲2一銀打△2二金▲6四歩打(第10図)
井上九段の冴えは止まらない。
▲2一銀打!
最初見たとき、「なんだこりゃ」と思った。
よく見ると、▲6四歩との関係で両取りを狙っているのである。しかも、この両取りは、どちらの駒を取られても後手にとって厳しいのである。
それにしても井上九段らしからぬ将棋と見える。
最近、あまりインターネット上で井上九段の棋譜を見ないので、イメージがわかないところはあるが、じっくりした受けの強い棋風だと思っていた。
よくわからないリードを保ちつつ、すこし危うげなところもありながら、じっくり進めていくような将棋だったような・・・
それがこの将棋は、じっくり指しつつも鋭い手を繰り出して、ずいぶん積極的である。
私は、話題の藤井六段に触発されて、普段以上に井上九段がのっていたのではないか、と予想している。
第10図
(第10図以下の指手)
△3六歩▲6三歩成△同 金▲4五桂△3七歩成▲3三桂成△同 金▲2五飛(第11図)
結局、△6三の銀を歩でとれてしまった。
飛車も軽くかわして、第10図、次は▲6五飛車も狙っている。
ところが、である。
なんとなく、先手がそんなにいいのか、よくわからないのが第11図なのだ。
その理由の一つは歩切れであること。歩さえあれば▲6四にたたいて、勝ちそうなのだが。
それと、▲2一の銀が遊んでいる。
後手の竜も手ごわい。
なんか、変だな・・・そう思っているところで、藤井六段が今度は攻勢に立つ!
第11図
(第11図以下の指手)
△5五桂打▲同 歩△3四角打▲4五飛△4四歩(第12図)
桂を捨てて、△3四角を打てば、なんと、飛車取りと△6七角成の両狙いである。
固いはずの先手玉は、一気に迫られた!!
やむなく▲4五飛車で防ぐが、△4四歩で飛車は取られている。
先手には豊富な駒がある。この飛車を取られる間に寄せて・・・
と誰しも思う。だが、その手段が見えないのだ。
これは焦る・・・
第12図
(第12図以下の指手)
▲2六桂打△4五角▲同 歩△4七と▲8九玉△5九飛打▲7九桂打△5八と(第13図)
▲2六桂で角と刺し違えることにしたが、後手は飛車を取り、と金を寄せてくる・・・第13図となっては、私が先手なら
「やられたか・・・何が悪かったんだ??」
と思うところだ。
(もっとも形勢はよくわからないが)
さて、だがこの将棋、まだ終わらない。
次の3手は印象に残るだろう。
第13図
(第13図以下の指手)
▲9五角打△4一玉▲3四桂(第14図)
▲9五角!
何かよくわからない単発の王手だ。
何か合駒をしそうなところ。
ところが後手は王をかわした。悪くはなさそうだが、これが悪手だった。
それにかぶせるように、▲3四桂!
「なんだこりゃ?」
と思うだろう。だが、この手は、▲1五角の筋を含みにしているのだ。
捕まる気配のなかった後手玉が、急に狭くなろうとしていた。
ところで、△4一玉はどうも悪手のようなのだが、この手だけを云々するのは誤りであると私は思う。
棋士は人間だから、表面化しないものも含めて、多くのミスをするのだ。
ここまでにも、井上九段も、藤井六段もきっとしているだろう。
そのミスはお互いに出るものだから、そしていつでもおかしくないから、だから実力なのだ。
井上九段が、ここまで互角以上に指していたからこそ、藤井六段のミスが目立つ局面になったのだ。早い段階で差がついていたら、藤井六段のミスは表面化しなかっただろう。あるいは、ミスが出るような局面にはなっていなかっただろう。
(後日談だが、井上九段は、この▲3四桂を指すときに、
「勝ちになった、これを逃すわけにはいかん」
と思って頭がまっしろになったそうである。
この▲3四桂は、確かに見た目にすごそうな手だが、プロには「決め手」と映るのだと知り、おどろいた。)
第14図
(第14図以下の指手)
△5二玉▲1五角打△6八と▲同 金△1九飛成▲3三角成△8四香打(第15図)
▲3四桂に対して、後手は△5二玉・・・先手が急所に桂を飛ばしたのに、後手は王を動かしただけだ。
これは相当に損をした。
そして狙いの▲1五角を決められ、△3三の金を取りながら、後手玉に迫れるのだから、これ以上の気分はない。
さっきまでは手がつかなかったから後手玉は広く見えたが、このように一度手がついてしまうとそうはいかない。
さすがの藤井六段でも粘れない。
第15図
(第15図以下の指手)
▲8五銀打△同 香▲5一角成△5三玉▲4二馬△同 竜▲同 馬△6二玉▲5二飛打△7三玉▲8四銀打△同 玉▲8二飛成△8三歩打▲7五金打△同 歩▲同 馬△投了(第16図)
以下は鮮やかに寄せ切った。
第16図(投了図)
井上九段は見事であった。
優勢を築いた後、すこしふらふらしたが、全体を通して互角以上で戦った。
その指手を見ると、人柄が現れているような気がした。
それは、人のいい性格で、弟子にも慕われるそういう師匠が、普段から自分のできる範囲で精一杯のことをやる・・・その性格のままに、勝敗はともかく、精一杯の力で読んで、バランスを取って、できる範囲の中で全力を尽くす。
それで逆転されそうになっても、知恵を絞って▲9五角を放つ・・・そして、思考の中でもがいているうちに気持ちのいい、やや不思議な▲3四桂に行きつく・・・
そんな将棋のような気がした。
それと、藤井六段の実力と知名度が、井上九段にとってもいいように作用して、いい将棋がさせたのではないかと思う。
敗れた藤井六段については、こういう強敵を相手にもっともっと、おもしろい将棋を指してもらいつつ、はやく大きな舞台で戦う姿を見たいと思う。
(後日談だが、井上九段は、この将棋を指した後、ぐったり疲れたそうである。
正直なもので、
「多分恥ずかしくない将棋を指そうと思って集中していたからだと思う、いつもこれぐらい集中しないといけないんだけど・・・」
という意味のことを話していたそうだ。
恥ずかしくない将棋(=バランスを取り続ける将棋)
集中力
いずれも私が棋譜から感じることができたことだ。だからこそ、この将棋を取り上げたいと思ったのだから。
そう思うと、自分の感性もなかなかかな、なんて思ったりもする)