さて、稲葉八段が懸命に手を探し、何とかたどり着いた局面である。
差は、ついているのかどうかも分からない。
私の見るところでは、後手陣の右側の桂馬等をうまくとる手があれば、先手が行けるかも、というところである。
第7図
(第7図以下の指手)
▲2三馬△3二角打▲同 馬△同 銀▲2三歩打△3三銀(第8図)
▲2三馬とは、落ち着いた手である。
なかなかアマチュアには指せない。
これに対して、後手は、△3二角。
打たれてみれば当然にも思えるが、やはり後手陣の右側がだいじなのだ。
羽生であっても、▲2二歩みたいな、遅そうな手を、恐れるのである。
さて、そして進んで第8図。
斉藤七段と郷田九段は
斉藤七段「恥ずかしながら、一手も見えません」
郷田九段「いやいや、私も・・・ほんとに・・・どうやるんだろう」
第8図
(第8図以下の指手)
▲6六角打△5四角打(第9図)
この局面でのこの2手は印象に残った。
まず▲6六角。
打たれた時に「いい手だなあ」と思った。次は▲2二歩成りなどが狙いだ。
それに加えて、いかにもよく効いている角であり、盤上を大きく制圧することが得意な(と私が感じる)稲葉八段らしい。
これに対して△5四角。
この手は割と早かったように思う。
▲4五桂等を防いで、やはり均衡を保とうとするような手だ。
この二手を見て、私は先手が精神的に苦しいと感じた。
稲葉八段の▲6六角は、ずっと想定していた局面とは思えなかったからだ。
手を探して探して、何とかよくしようと考えながら、局面ごとに考えて、それでたどり着いた手だ。
一方の羽生竜王は、ずっと均衡を保ち、少なくとも悪くはならないように指している印象だ。その意思を承継しているのが△5四角だ。
だから、羽生竜王にとっては、当然の想定局面であろう。
この、気持ちの違いが、あるような気がした。
(もちろん私の勝手な推測だが)
第9図
(第9図以下の指手)
▲4五金打△6五角▲5六歩△同 角▲3九角(第10図)
そして、稲葉八段が、ついに握手を指す。
▲4五金。
私には悪い手には見えなかったが、△6五角を見落としたということだ。
結局、▲3九角という、ほとんど「参りました」というような手を指すことにつながってしまったことから見ても、本当に悪手だったのだろう。
ただし、この悪手は、単に見落としたとは私は思わない。
この将棋で、ずっと羽生竜王が差をつけさせなかったからこそ、稲葉八段の思考に疲労を蓄積させたのだ。
その結果、均衡を自ら破壊してしまうような手を指してしまったのだ、と思う。
もし、羽生竜王が、均衡を保てなかったら、あるいはこれほど辛抱よくさせなかったら、稲葉八段の強い攻めの流れが生まれていただろう。
第10図
(第10図以下の指手)
△2五歩▲4六金△3八角成▲同 金△2六歩(第11図)
2筋の歩をゆっくり伸ばしていく、格調の高い差し回しである。
もっとも、北浜八段によると、どうも第8図では▲2六飛車が、厳しかったようだ。
しかし、この将棋の流れは、ゆっくりと、優勢を拡大していく方が似合っているとは思う。
第11図
(第11図以下の指手)
▲3五歩△3六歩打▲4五角打△5四歩▲3六角△2七銀打▲同 金△同 歩成▲同 角△2六金打(第12図)
この局面を取り上げたのは、△2六金を取り上げたかったからだ。
解説陣は先手がどうしようもない、という雰囲気ではあったが、それでも、こんな俗な好手を放たなければ、ならないのである。
「どう指しても優勢」
等とは言えないのだ。
私だったら、もちろん、こういう優勢な局面にも持っていけないが、この局面で2六金を打つ自信もない。
強いプロは、本当に効果的な手を知っている、と思った。
この△2六金は、見た目こそ重いが、何とか飛車の打ち込みを防いでしのごうとする先手陣を打ち破る鍵なのである。
第12図
(第12図以下の指手)
▲1六角△同 金▲同 歩△4九飛打▲4八銀打△6五桂▲4七金打△8四角打▲6六歩△同 角▲5六金△9九角成▲5八玉△3九飛成▲同 銀△5五香打▲4八銀△3六歩打▲投了(第13図)
第13図
かくして、羽生竜王が名人挑戦権を得た。
円熟味のある、指し回しであったと思う。
稲葉八段は残念であったが、こういう将棋を指すと、(今でもものすごく強いが)さらに強くなるのではないかという気がする。
さて、名人戦は、私は羽生のりである。
この、本当に隙のない将棋に対して、名人はどう戦うのだろうか。私には、名人の方がむしろ挑戦者に思える。